(天術家 天華とも 連載中 大開花プランのバックナンバーです)


 



親戚のある方が今年2月に亡くなって


その方と最期まで一緒にいられなくって ある日お風呂に入ってたら その人のことがすごく思い出されて

こっちを微笑みかけてくれているように思ったんです

で、驚いたのがその翌日 知り合いに聞いたことが

わたしの名前とその人の名前が一緒に2文字でなんと戒名になってたんですね

出てきてくれていたのかしら・・・・・ 入浴中でしたが汗

そんなこんな また
こないだ夢を見まして汗  親族会議、というシーンで


いきなりテレポーテーションするようにその人が現れて

「俺の存在を忘れるなよ!」と抱きしめにこられる内容だったんですけれども

思い癖かいつもの霊界通信か?

そのときはどっちかはわからなかったですが おそらく

ずっといっしょだよ。といってくれていたのかな。

でもかならずいえることは、

霊界から多くの方々が見守ってくださっているんだということはいつも感じておりますのでね^^;

そういうことなんだろう。感謝だよね


つまりは“死”、というものは実のところ100パーセント無い概念なのかな?と



最近想うんだよね




意味がわからないかもしれないですが汗^^;


最近 科学の分野でも 人間もこの宇宙全体も顕微鏡でははるか遠く解明できないほど

奥深くミクロの世界まで知ることができたのならば、  そこが人間達の“たましいの世界”(天国)

なのではないのか?といううわさがすでに常識になっているのだそうです

※最近あの世に愛する人がいってしまった方は朗報です^^;笑
 
いやじっさい、 そうだと思うんです


あの世なんて非科学的で信じられない  というひとがいますが

科学だってなんにもこの世の事実を解明できてないのです


解明できていきかけたとき あの世のことも近い将来わかっていくだろう。 といわれているのだとか



つまりは 死というのは 肉体が土に物質として還元されて溶けて養分となるだけです


それをみたら消滅したように見える  だから遺族、残された人々は悲しむ


そりゃ自然なことですが汗


その人自身の 肉体に入っていた エネルギー 霊体 その人自身の想念体 


その人自身の本質は 肉体(おべんとう箱のような容器)に入っていただけのものだったので



もう想いのまま笑  行きたいところに想いひとつでいけますし それまでより自由な存在になれる


本当の意味で “生命が死ぬ”  ということなどありえないのです


より、純粋化されて  高速化して


より、もっと高みへ昇ってゆくためにたましいも宇宙も生き続けます


だから最高のステージ、“神の世界”(究極のエネルギー発光体)へ近付くべく

輪廻転生してこの世で“修行”というのをするんだと思います


死というものは、ありえません


故人は、ご先祖様は、ものすごい  生きていらっしゃいます


言い方はあると思いますが  たとえば永住しに海外に行かれた

といってもほぼ意味合いは変わりません。


こっちがまだ渡航できないだけの パラレルワールドへ行かれた。

でもそのうち自分も行くわけだし  “こっちの世界のことはすべてお見通しよ”


とおもっていて差違えないとおもうの笑


私もご先祖様に(とても優しそうな料亭の女将さんだったとおもう方です)


あんたのとこのワンちゃんほえるわよね笑 私も番犬飼っていたのよ~  と夢の中で

一緒にお話させていただいたことが在ります

いつも見守ってくれていて わたしはメッセージをいただくものですが

もちろん某カウンセラーさんのごとく家宅侵入的に笑^^;(冗談)霊視透視するひとではないので


日常的にフルコンタクトで会話させていただくわけでは在りませんが

しかし定期的に霊界より、あらゆる角度で

夢やイメージングなどといったスタイルで お話いただけたり励ましてくださったり

愛の忠告や、辛いときにまだ大丈夫だ!とアドヴァイスをくださり、

ここまで導いてくださっていたのだとほんとうに感謝しています


そういう霊界の方々 自分たちの故人に贈り物やメッセージを送りたい

と想われる方は とにかく 想念が一番大切



想いの世界があの世なので


こころのなかでいつも忘れないで 「いつもほんとうにありがとう!心から愛してるよ」

と念じて差し上げたり、 胸の中に、その人の半径数メートルに

バラの花や天国が広がることをご祈念するだけで、実際そういうプレゼントを贈ることができます

やってみてください。 いいことがあるかも汗 もしかしたら・・・^^;




ほんとうに   ほんとうに、自分は計り知れないほどたっっっくさんの人に愛されてるとおもう。


みなさんもそうなんですよ


ちいさいとき あなたが生まれた瞬間


 計り知れないほど多くの人々が


どんな人々であれ、




あなたが生まれて来てくれたことを奇跡だと わきたち


涙に涙を流して喜んで

どれだけ とびあがって あなたの実証を望んでくれていたことでしょう

あなたがここにやってきてくれていたことが

世の中の多くの人々にとっては

これほど以上に無い感謝であり、癒しで在り


ここに存在していってくれることは

みんなにとっての望みだったんです


それを、傷付けてしまってはいないだろうか?



とふと自分自身に問いかける瞬間があっても

良いんじゃないかな?


そうわたくしおもったのね笑



その瞬間を今大人になったこの瞬間にも再現して

自信を持って良いんだ。ということ


それが“自分が自分でいて良いプライド”


だとおもうんですよ。



たとえば「わたしなんて。自分を愛せない 自分を褒めるのは気が引ける、うぬぼれかなと思う」


という人がいますが

そのマイナスは謙虚さとも違うぞ、と感じるんですね 減点法の思考の頑固さだとおもうんです

謙虚さとはそうやって思い癖のようにしていつでも自分をいじめるようにもっていないもので


良い部分に関しては、とことん褒め甘やかして「あっ、ここもいい!ここにもいいとこある」ってやって

自分のテンションをあげてやってもぜんぜんオッケーじゃん!とおもうんです

そうやってあげることによって、少なくとも人に批判されて

すんごいえぐいこといわれても  痛くも痒くもなくキラキラ輝いていられるものだから

そうなのか?と共感してしまうから傷付くんです

誰かにいじめられるとしましょう

キモ~イといわれて「えっ、そうなの?そんなにキモイの私は?」

とすこしでもかすめてはいけない


言い返せるエナジーを持つ



「は?そう言うような“お前がキモイ”んだろ。笑

自分を認められない
そういう寂しい思考しかできないから批判するんだ。
羨ましいんだろ 知っているよ」



こころのなかでしっかり 冷静でいられる自己肯定感を持たなくてはいけないとおもうの


むずかしいことだとおもうんだけれども いきなりはやっぱり。


しかし、

代えが無い自分ひとりの人生。


死ぬまでロマンチックに演出して

自分が見送ってやらなきゃいかんのです。

それをあれもない、これも無い、ダメダメだ・・・

とさげすんではいけないよ。



そのホントの事実を 自分の実証にさえできれば、

どんなにむごく虐待された過去があったって


学校で悪口言われていじめにあったって


社会が信じられなくたって


そのすべてを睨んで

 「くそー! おもいしらせてやるぞ お前らなんかに負けない!」

と堂々とその愛の記憶に誓って 斬り返す強さが生まれてくることができると想うから




もちろん「まだまだだもっとがんばるぞ!」というハングリー精神は

絶えず持っていなくてはいけません。満足しきると傲慢になる

 根底で自分を認めつつも 飽きたりないというおもい


その向上欲 に通じる減点法 は必要な“謙虚”なのかもしれませんね



そして 待ってくれている人には必ず


その想いを 伝えようとする姿勢を 忘れないでいて


誰かのことをいつでも忘れないで、


抱きしめられるあなたでいてね。



みんながあなたのことを信じてくれています。


どんなに孤独で辛くとも、忘れないでいて欲しいよ。



あなた自身の幸せを、誰より願える貴方であって欲しいんです


必ずそれは現実となりますし   そしてその姿を

あの世の故人はみんな誰より願ってくれているのだから。


だからみんなのために必ず幸せになってください


あなたならば大丈夫だよ